ホーム留学奮闘記過去ログ|2001年〜2002年
大学選びスタート  そして後日カウンセリングの予約をしてカウンセリングルームへ。そこから具体的な事を決める段階に入った。まずは留学先の大学絞りから。条件としては俺は会計学を専攻したいという理由から、まず会計学がある事、そして卒業後留学生でもCPA(米国公認会計士)が受験可能な州である事、そして授業料・生活費がお手頃な事が主な条件。あと、オマケ的な条件は、施設が充実している事、治安が良い所、都会から意外と近い所、そして何といっても日本人がそれほど多くない所。本やインターネットで調べていく内に、2つの大学が浮上した。
 Southern Illinois Universityと、Western Illinois University。2校とも大学町で、いわゆるド田舎の地域にある。Southern Illinois University(以下SIU)は知っている人もいるかもしれないが、日本の新潟にも大学がある。新潟校に2年在学し、3年度からはSIUに留学して勉学に励むというもの。ここで問題が急浮上。それはどういう事か。

日本人が(Western Illinois University(以下WIU)に比べ)異様に多いということ

「っていうか最初の条件で日本人が多くない所って書いてあるじゃん」っていうツッコミは勘弁してください。知らなかったんです。ホント。ビツクリしました。

という事でWIUに決定。
準備・出願
そして上の空
 メインの出願先がWIUに決まった事で、早速準備に取り掛かろうとしようとした。
その時驚愕の事実が!!
と、中途半端に某番組風に言ってみました。あ!ごめんなさい消さないで!
 大学入学に必要なGPAがギリギリだったのだ。どの大学でもBuisinessは人気があり、俺のGPAではちょっとギリギリで、自分よりGPAが高い入学志望者の数が多いと入れないかもしれないとカウンセラーから言われた。入学できなかったらとんでもなく恥ずかしい(中学の頃から留学してやると言っていたので)という事がはっきりとわかっていたので、WIUよりもちょっと低いSIUを世間でいう、すべり止めとして出願した。できるだけ2校とも落ちたらどうしようとか思わないようにね。ホントに落ちたら洒落にならんかったから。
 (ICSで)出願に必要だったのは、
  1. (高校の)成績証明書
  2. (高校の)卒業証明書
  3. (金融機関の)残高証明書
  4. エッセイ
  5. (当然)出願書
  6. あと何か
これらを合格を祈りながら書き、あとはICSに任せた。
 そして2校へ出願。2002年4月に出願して7月上旬に結果が解ると言われた。その間はバイトでもして小遣いを貯め様という事でバイト探しへ。この間は大学に関してはホントに上の空だった。(たぶんこれの使い方間違ってますね)
バイト漬け  人生で3度目のバイト探しが始まった。1度目はあのバイト。2度目はレストランのバイトだった。正直2度目が一番嫌だった。仕事がね。人は親切な人が多かったが。それらを踏まえて、今度はやっていて辛くないものを選ぼうと考え、早速コンビニへ行ってanを買った。毎回買った。1200円ぐらい買った。ちなみにフロムエーも一度買ったが、なんかanに比べて見にくかったので捨てた。そしてコレダ!!と感じたのが、名古屋大学付属病院内レストランの仕事。早速面接のアポを取り、後日名大病院へ(経営しているのは共済団)。
      (〜中略〜)
共済団から電話が来た。レストランは人員不足はないから駄目だけど、売店なら大丈夫です。というバイト先変更の話だ。もうan買って他のバイトを探すのも面倒くさいから、お願いしますと返事した。時給8○0円で8時30分から12時30分までで、まぁ、悪くないかな?ってことで。そして3月28日、学生としてではなくフリーターとしての生活が始まった。
っていうかこれ3月末の出来事ですけどね

 それからの間はホントにバイト漬け。病院内の売店だけあって、お客の大半が患者さん。患者さんも様々な人が居て、当然労わりながら接客をしなければなからなかった。俺もそうやって仕事をこなしていく。最初の2ヶ月は。
 ここで愚痴を書いてしまうとこのページだけで500kbは軽く超えてしまうのでやめておくけど、腹が立つ事が何(十)回もあり、そして何(十)回もキレかかった。そして数回キレた。しかし接客スマイルは忘れなかった、と思う。
 そんなバイトでもバイト仲間は良い人が多く、今でもこのバイトをして良かったと思う。7月20日(執筆時7月15日)に辞めてしまうのは少し寂しい気もするが、頭の中では喜んでいる。ハッピーハッピー。
これは7月の出来事。↓は6月)
フィール ライク ヘブン  ボーッとした生活にオサラバしたのは6月の中旬。↑でも書いたように、カウンセラーからは合否結果が7月に来ると来ていたんだけど、突然ICSから電話が掛かってきて、おめでとうございます。と言われた。電話が来る直前まで昼寝(暇だから)していたので、初めは何の事かサッパリ解らなかった。何か懸賞に応募してたっけ?とか考えてちゃったり、考えてなかったり。しかし、その意味を理解した時には、パーッと周りが明るくなった。マジで。 合格という言葉はいつ聞いても嬉しい物だ。まるで天国のような気分だった。<過剰表現
パニック・ルーム  ぶっちゃけタイトルに意味はないです。ただジョディー・フォスターが思い浮かんだだけ。

 大学に合格した後、ICSから学生ビザの申請書とその他いろいろが送られてきた。留学後は何をするのか・何故留学するのかという質問があったりといろいろあり、意外にもすべてを書くのに時間がかかった。数枚の書類なんだけど。すべてを書いた後ICSへ返信。その後ビザ取得完了の通知が来てとりあえずは一安心。その後またもや書類が送られてきた。中身は寮での滞在中、冷蔵庫と電子レンジを借りるかどうかの書類だった。ハァ?とか思ったが、ここは俺。すぐに借りる様にサインして返信。秋学期で$130。だったような。
 それを返信して数日後、またまたもや書類が来た。ファイナルガイダンスの案内と金銭的な書類。ファイナルガイダンスとはICSの会員が留学前にもう一度内容を確認したり、留学後の説明したりする説明会のこと。俺の場合は8月2日。だったような気がする。
…・・・・・・・・ハイ、そうです。この日記(じゃないけど)はすべてが曖昧です。今気づいたあなたは最高です。
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